あなたは幸せですか 20:48

冬季休暇中のある朝。

ちょっと働かなかっただけでぐうたら生活に慣れてしまった体と精神に鞭打つように起床。

支度をし、一人電車に乗る。大きい駅からすぐのモール内の映画館へ行き、前日に確保したチケットを発券する。

上映まで時間があるのでモール内でランチ。チケット提示でドリンクがサービスになった。

映画館では前の座席に元気いっぱいの男の子、隣はヨボヨボした老夫婦となんだか落ち着かなかったが、上映が始まるとそれぞれ静かになり映画に集中しているようだ。

まあまあ感動し、少々心をかき乱された状態のまま近くで買い物。新しい手帳とペンを買う。選んでいるうちに気がついたら心も落ち着いていたようだ。

少し疲れたので最寄駅に着いたらお茶にしようと考え駅へ戻る。

ホームでふと足元を見ると、サインペンのようなもので手書きで書かれた「乗車口」の案内。工事が終わるまでの間だけ、といった感じ。駅員さんが書いたのか、ほとんど消えかかっていた。

車内は暖房と日差しで暖かく、頭がぼうっとしてくる。

隣には制服を着た女子学生。熱心にスマホを操作している。よほど集中しているのか首がこちら側に傾いてくる。

斜め前にはスーツを着た男性が座っている。男性もスマホを見ているが定期的に目だけ動かし女子学生の足をチラチラ見る。

冬は日暮れが本当に早い。空はうっすらと青く、西に向かってだんだん白っぽく、地平線は橙色だ。

駅で女子学生が颯爽と降りていく。男性の視線はスマホの画面から動かなくなり、私は外を眺めながらうとうとする。

 

 

日常生活自体が幸せである。

いま幸せですか?と怪しい人に聞かれたとしても、迷わず幸せだと答えられる。

お金持ちな訳ではないし、コンプレックスや悩みもそれなりにあるし、世の中いろいろ大変だが、自分が可哀想な人間だとか恵まれていないとか思ったことが一度もない。

自分がポジティブ人間というよりは家族や友人、周りの人に恵まれているおかげだと思う。

 

 

友人とご飯を食べているとき、どういうときに幸せを感じるか?という話になった。

自分は美味しいものを食べたときとか、日常の些細なことで幸せを感じられる得でちょろい性格なんだと話した。

友人はどうも違うらしい。例えば、好きな人と一緒にお酒を飲み、込み入った会話をし一緒に過ごすのは幸せだ。でも、それで満足できないそうだ。もっと上の幸せを求めてしまうという。

好きな人と過ごしているとき幸せだと感じてはいるんですよね?と聞くとそれはもちろんだと。

友人は年上の異性である。なんだか妙な話になってしまったなと思った。

 

友人は数年前、自分は強欲だから、と言っていた。友人は多分酔っていた。

「強欲」という言葉から感じるのは「自分勝手」「欲深い」といったことだ。

だがそのとき友人から感じられたのは強欲さというより、自分の欲しいもの、つまり幸せを追い求める純粋さだった。謙遜のためか、酔っ払っていたから「強欲」という言葉が出てきたのだと思う。

何年かたっても考え方はそう簡単に変わらないものだ。

 

私と友人とどちらの方が幸せなのだろうとふと思った。

私は、小さい幸せに囲まれた視野の狭い生活。

友人は、今より大きな幸せを掴むため常に動いている。

幸せを数値にしたらどちらが上なのか。点数をつけるものではないと言い訳して、私はもしかして知らないうちに損をしているのではないか?

混乱してきた。自分が積み上げてきた何か(何だろう)が崩れる気がして、これについて考えるのは一旦やめた。井の中の蛙でいたい。

 

 

今日食べたもの

朝食兼昼食・・・パッタイ、生春巻き、スープ

おやつ・・・カフェラテ、みかん

夕食・・・豆乳リゾット、しらすとレタスのサラダ

 

リゾット、味付けはよかったがお米が少し硬かった。