本が読めなくなってしまい 12:29

読み返したい小説、買ったまま積まれている小説を全部数えたら20冊近くあった(小説以外も含めるともっとある、数えるのをやめた)

読書家の人や仕事で執筆する人なんかはもっとえげつない量の積読があったりするのだろうが、読むのが遅い私にとって20冊はなかなかの冊数。

これらをなるべく消費していくのが今年の目標の一つになっている。

 

いつからなのかわからないが、小説に手がのびなくなった。

休日のまとまった時間に一気に読んだり、お茶を飲んだりしながらダラダラと眺めるように読むのが好きだったのだが、最近どうも気が進まない。

 

理由はいくつかある。一つは本を読んでる間、自分が世間から置いていかれている不安を感じるようになってしまったから。

SNS、動画サイト、ネットニュースを見ているあいだ、自分が世間の波に乗れているような気持ちになる。少し前に起こったこと、リアルタイムで起きていること、これから起こりそうなことがわかっていないと逆に怖い気持ちがある。

一人暮らしだからかもしれない。実家にいるときはテレビがあったし、家族からこんなことがあったよ、と会話からニュースを知れたりする。今日は雨が降るから傘を持って、と声をかけてくれたり。意識的に見ようとしなくても勝手に情報が入ってくる。

今は自らニュースを確認するようにしないとすぐに情弱になってしまう。

天気予報や電車の運行情報は通勤に困らないよう毎朝見なければいけない。台風で運転見合わせ、積雪で運転見合わせ、渋滞でバスが遅延、知らない間にどこかで大きな災害が起きていていたら?自分のすぐ近くで某ウイルスの感染者がいるのに気が付かなかったら?政府からの要請を自分だけが知らないままだったら?

読書をしている間はこういう情報をシャットアウトする状態になる。私の読書においての集中力なんてせいぜい2時間程度なのだが、その間なんのニュースも入ってこないのが怖い。部屋の外で何かが起こっても近所の人が私に知らせてくれる、なんてこともありえないだろう。一人は楽だがいざという時本当に危ないなと思うのだが心配のしすぎか。

 

簡単な解決策があった。ラジオをつけっぱなしにして読書をするだけだ。

耳からニュースや音楽がなんとなく入ってくるラジオ、ながら作業に本当にちょうど良い。テレビと違って視覚は本に集中できる。重大なニュースを聞き逃すこともないだろう。パーソナリティーがリアルタイムで話してくれているのも安心感がある。

いつもPCかスマホradikoを使っている。有料の会員登録をしたらエリア判定が不安定だったのがなくなり便利になった。聞き逃した好きな番組が後から聞けるのも良い。

 

 

家にいると何かとやることがある、というのも本が読めない理由の一つ。

掃除や洗濯、家事に終わりはない、ぼんやりしててもお腹はすく、出来合いのものはなるべく避けたいのでスーパーで食材を買って料理しなければならない、私は食事が遅い、消耗品が少なくなったらまた買い出し、それかネットで注文・・・いろいろやっているとあっという間に時間がたってしまう。今日はもう読書はいいや、となってしまう。本をなんとか読み始めても、やり残した家事を思い出してしまって気になったり、とにかく集中できない。

家での読書より、カフェでの読書の方がしっかり読めて良かった。食べ物や飲み物は店員さんが持ってきてくれ、片付けてくれる。家でやらねばならないことを不思議と考えなくなる。

こういうときの持ち物は、読みたい本、財布、あえて充電が済んでいないスマホスマホの電池切れが嫌なので触らなくなり、必然的にやることが読書だけになって集中できる。

家で本を読んでいるとリラックスしすぎて昼寝に移行してしまうことが多々あるが、カフェでは居眠りはできないところも良い。周りに人がいる、でも話すことはない、というのは緊張感と安心感のいいとこ取りだ。

 

 

仕事などでストレスが溜まっていると本が読めなくなると言う現象がある。そういうときは小説のような文章を追っていくものでなく、雑誌など写真やイラストの多い物ならなんとなく読み進められる。読み始めるまでが億劫でも、読み終わりは不思議とスッキリした気持ちになれる。

料理本や展覧会の図録が良い。興味のないところは読み飛ばし、気になった項目や写真だけじっくりと目を通す。最近良かったのは高山なおみさんの「自炊。何にしようか」カバーが真っ黒でなんだかびっくりしたが、読んでみると気張りすぎなくていいんだよ、と背中をポンポンとされたような気持ちになれた。

児童向けの絵本も良いかもしれない。難しい言葉が出てこないので頭が疲れない。絵が綺麗だったり可愛らしいキャラクターが出てくればそれだけで癒される。ときどきハッとするような一言に出会える。

昔読んだ絵本で何冊か欲しい物があり、買いたいのだがまた積読が増えるかも、というジレンマで迷っている。「よあけ」と、「眠れぬひつじの夜」みたいな題名の絵本を本屋に行くたび探している(内容や表紙がうろ覚え過ぎて、実物を試し読みして買いたいのである)

 

 

お風呂に入るのが面倒、入らなくて後悔することはあるが入って後悔することはない、というような文章をネットで見かけたことがある。

読書で後悔する。よっぽどつまらない本を読んだとか、バッドエンドの作品を読みきって気が滅入った時だろうか。大抵は読書もお風呂と一緒で、読んで後悔することってあんまりないはずだ。

 

 

いろいろ理由をつけてあえて本から遠ざかったのか、精神的に本を受け付けなくなっていたのか。でも読みたいという気持ちはずっとあるのだ。本棚の下の段の未読の本、枕の脇の読みかけの本が視界に入るたび、ああ、と思う。

そういえば今日は込み入った予定もないし天気も悪いし、読書にはうってつけの週末かも。お茶を淹れてラジオをつけて、まずは軽めの薄い文庫本から読もうか。

 

 

今朝は母が送ってくれたさつまいもを食べた。炊飯器で蒸すやつだ。炊飯器いっぱいに芋を詰めたら、いつもより甘く仕上がったような気がする。