最近快腸なもので 12:07

中学生の頃から定期的に起こる便秘症状に悩まされてきた。14歳ぐらいの頃が一番酷かった記憶がある。治ったと思って数日後にはまた便秘、というのを繰り返し、トイレに行くのが怖くなってしまうくらいの時期があった。大人になって自然と落ち着いてきたものの、症状が全く出ないというわけではなかった。食べ物なのかストレスなのか原因は不明だった。

それがここしばらくはとっても調子が良い。これが効いたのかなという心当たりのあるものをまとめておく。ちなみに薬は一度も飲んでいない。

 

 

【水分をよく摂る】

もともと水は飲まない方で、トイレの回数も人より少なかった。2年くらい前だったか、風邪やインフルエンザの予防にこまめに水分を摂るのが良いと聞いてから水をよく飲むようになった。量はだいたい1日1リットルくらい。当時はペットボトルの水か麦茶を出勤時にコンビニでよく買っていたが、今はタンブラーがあるので家でお湯かお茶を淹れて持っていくようにしている。デスクワークなのでふとした時に飲んでいる。

水を飲む習慣がついたら、風邪も引きにくくなったし、平和に排出ができるようになった。よくよく考えたら、特に学生時代はほとんど水分を摂っていなかった気がする。体育の授業の後や部活の時くらいで、授業中や休み時間に水を飲む習慣なんてない。水筒を持ち歩くこともない。そりゃ便秘にもなるよね、と思う。

 

 

【果物を毎日食べる】

これは気のせいかもしれないが、去年から毎日何かしらの果物を食べるようになってから毎日一回は必ず便通がある。これまでは一日置きということも多々あった(便通の回数は人によって異なるので毎日でなくとも気にすることはないらしい)

旬のものや、好きな果物をスーパーで適当に買い、ご飯の時やおやつなど好きな時に切って食べるだけである。朝ご飯の一番最初や、食欲がない時に食べることが多い。冬の今はりんごばっかりなせいか1日2回出る時もある。

 

 

【姿勢に気を付ける】

座っている時、歩いている時、立っている時、どんな時でも背中(背骨?)をお尻の上にのせるように姿勢を意識すると便秘にも良い気がしている。特にデスクワーク中は前かがみになるくせがあるので特に気をつけている。トイレにいる時も同じで、前かがみになって頑張るよりもお尻と背筋が一直線になるような姿勢でいた方が出しやすい気がする。

 

 

多分、この3つがセットで習慣になってから便秘症状がほぼ改善された。快便が当たり前になったので便秘で悩んでいたことを忘れていたくらいだ。【水分をよく摂る】が個人的には一番大事で、便秘だけでなく体のいろんな部分に良いことだと思う。

便通の悩みというのは相談しにくいし、相談したところで深刻に受け取ってもらえないこともあるしで厄介な症状だなと思う。

 

 

 

鬼はいるのか? 08:28

今週のお題「鬼」

 

サンタクロースを信じる?というのは子供がする質問の定番だけど、鬼を信じる?というのは聞いたことがないかもしれない。

 

私の通っていた幼稚園では、節分の時期になると先生が教室の窓の外に柊とイワシの頭を飾る。柊の葉のトゲとイワシの匂いが鬼を追い払ってくれるんだよと教えてくれた。

そして組のみんなで豆まき。鬼の役をする人はおらず、生徒も先生も一緒になってワイワイと豆をまく。最後に年の数の豆を食べる。魔除けがどうこうなどどうでもよく、ただただ楽しいイベントのひとつだ。

 

その年も、ひとしきり騒いで豆まきが終わった。床に散らばった豆をみんなで拾う。

窓の柊を片付けようと外に出ようとした先生が声をあげた。窓にしっかりと貼り付けたはずの柊が地面に落ちているという。

「鬼がきて落としていったのかも」

先生が生徒たちに聞こえるように言った。

「柊を飾ってみんなで豆まきをしていたから鬼は教室に入れなかったんだね」

「鬼がもう一回くるかもしれないから柊は飾ったままにしておこう」

先生と、組の中でも積極的な子達がそんな会話をしている。

子供だった私はその時点でやっと、それらの言葉とそこから想像できる鬼というものにゾッとした。鬼は教室に入って来て私たちをどうするつもりだったのか。同時に真昼間のみんながいる教室での出来事で本当によかったと安堵した。柊とイワシがお守りであり、ふざけ半分だった「鬼は外、福は内」と唱えながら豆をまくことが神聖な行為のように思えた。

窓に背中を向けないよう気を付け、外を確認しながら床の豆を拾い集めて豆まきは終わった。その日は鬼が再び私たちを襲いにやって来たらどうしようと落ち着けずに過ごした。

 

なぜ柊は窓から落ちたのだろう。単に取り付けが甘く、風で剥がれてしまったのだろうか。そんなに風が強い日だっただろうか。実は先生が私たち生徒を怖がらせようと一芝居打ったのか。もしかしたら本当に鬼が来て、柊とイワシ、私たちのまく豆を嫌がって逃げ帰ったのかもしれない。

 

鬼、節分、豆まき、そんなワードを耳にすると真っ先に思い出す、今でもほんの少し怖い体験談だ。

 

 

 

週末雑記 10:21

急にお菓子を作りたくなったので、今日は朝からさつまいものパウンドケーキを焼いている。少し前に食べたクリームチーズ入りのマフィンが美味しかったので、真似して入れてみた。ナッツをトッピングするつもりだったのに、クリームチーズに気を取られて忘れた。

残ったさつまいもと野菜やきのこ、豆乳でクリーム煮を作って朝ごはん。パウンドケーキが焼けるのを待ちながら食べた。

 

 

早い時間にいろいろ済ませて、お昼まで時間があると本を読もうかなという気持ちになってくる。人によると思うが、私は午前中が一番集中して本が読める。数年前、休日は朝ごはんを食べたらすぐお茶を準備してお昼まで読書、という過ごし方をしていたからその時の感覚が残っているのだろう。

まだ半分も進んでいない文庫本、定期購読を始めたコーヒーの雑誌が届いているので今日はこの辺を読もう。

文庫本は堀江敏幸「河岸忘日抄」ずいぶん前から読み始めたのに、まだ半分くらいしか進んでいない。

コーヒー関連の配信をしているYoutuberの方の紹介で知った「STANDART」というコーヒーの雑誌は内容がマニアックらしくついていけるかわからないのだが、デザインがおしゃれなので眺めるだけで楽しめそうだし、本棚に飾っても良さそうで思い切って定期購読を申し込んだ。

 

 

最近音楽を全然聞いていない。いまラジコを付けていて、菅田将暉とOKAMOTO'Sの曲が流れている。二人ともファンというわけではないが、思考を一旦停止してメロディに耳を傾ける行為はポジティブな気分になってくるものだ。

最近気が滅入ってしまいやすいのは読書をしていないのに加え音楽を聴いていないというのも理由の一つかもしれない。

ストレスがあるから読書や音楽鑑賞ができないのか、読書や音楽鑑賞ができないからストレスが溜まるのか。どっちでもいいか。

明日は出かけなければならない予定があるが、久しぶりにタワレコでも寄っていこうかな。

 

 

パウンドケーキが焼きあがったので味見。角切りしたさつまいもがホクホクで、少ししょっぱいクリームチーズとの組み合わせも悪くない感じ。オイルを少し入れすぎた。

週末はおやつを買うのを我慢してこれで過ごそう。

 

 

 

 

蜂蜜、メープルシロップ 23:59

今日は午後に雪が降った。

ちょうど外にいる時で、折りたたみの小さい傘をさし、コートの隙間から入ってくる風を防ぐために縮こまるようにして歩いた。

寒さに年々弱くなるが、雪が降ればほんの少しワクワクした気持ちになるのは子供と同じだ。そして電車の遅延や翌日の路面凍結が心配になりだんだんワクワクはおさまってくる。

 

 

ヨーグルトや飲み物に甘味を足したい時、いつも蜂蜜を使っていた。

この時期、蜂蜜は結晶のようにシャリシャリに固まってしまう。湯煎してとかして使ったり、時間があまりない時はスプーンで無理やりほじるようにして瓶から取り出す。冬に蜂蜜を使うのは少々面倒なのだ。

 

昨年秋ごろ、メープルシロップがセールになっているのを見かけてなんとなく買ってみたところ、思いの外使いやすい事がわかり蜂蜜をほとんど使わないくらいになってしまった。

寒くても固まらないし、蜂蜜よりゆるい液体なので取り出すのにスプーンが不要だし混ぜやすい。

一番良かったのはメープルシロップの方が少量でしっかりと甘味を足せること。私だけかもしれないが、温かい飲み物に蜂蜜を入れるとき、多めに入れないと飲み物の味がぼやけるだけにしか感じられることがある。メープルシロップの方が甘味やコクをしっかりと感じられるくらいに味付けしてくれる。

豆乳でラッシーを作る時も蜂蜜か砂糖だったところ、メープルシロップを入れるようになった。ココアやミルクティー、以外と何にでも合う。

 

そして、瓶の形が可愛い。(蜂蜜の瓶も可愛いのはもちろんあるが)使い切ってラベルを剥がした瓶、一輪挿しのように使えないかと思ってなんとなく捨てられないでいる。

 

メープルシロップは色・香りなどによって4段階に分けられているが、蜂蜜は花の種類だけ様々な味がある。そういう意味では蜂蜜の方が飽きにくくはある。

国産が多いというのもなんとなく買って応援したい気持ちになる。地元に近いところで作られたものを見つけると嬉しくなる。

 

そんなこんなで、気が付いたら砂糖をほとんど使わなくなたなあ、と思った。

 

 

今日食べたもの

朝食・・・厚揚げ入りのホットサラダ、マフィン

昼食・・・おにぎり

おやつ・・・ミックスナッツ

夕食・・・アボカドトースト、みかん

 

 

 

 

 

本が読めなくなってしまい 12:29

読み返したい小説、買ったまま積まれている小説を全部数えたら20冊近くあった(小説以外も含めるともっとある、数えるのをやめた)

読書家の人や仕事で執筆する人なんかはもっとえげつない量の積読があったりするのだろうが、読むのが遅い私にとって20冊はなかなかの冊数。

これらをなるべく消費していくのが今年の目標の一つになっている。

 

いつからなのかわからないが、小説に手がのびなくなった。

休日のまとまった時間に一気に読んだり、お茶を飲んだりしながらダラダラと眺めるように読むのが好きだったのだが、最近どうも気が進まない。

 

理由はいくつかある。一つは本を読んでる間、自分が世間から置いていかれている不安を感じるようになってしまったから。

SNS、動画サイト、ネットニュースを見ているあいだ、自分が世間の波に乗れているような気持ちになる。少し前に起こったこと、リアルタイムで起きていること、これから起こりそうなことがわかっていないと逆に怖い気持ちがある。

一人暮らしだからかもしれない。実家にいるときはテレビがあったし、家族からこんなことがあったよ、と会話からニュースを知れたりする。今日は雨が降るから傘を持って、と声をかけてくれたり。意識的に見ようとしなくても勝手に情報が入ってくる。

今は自らニュースを確認するようにしないとすぐに情弱になってしまう。

天気予報や電車の運行情報は通勤に困らないよう毎朝見なければいけない。台風で運転見合わせ、積雪で運転見合わせ、渋滞でバスが遅延、知らない間にどこかで大きな災害が起きていていたら?自分のすぐ近くで某ウイルスの感染者がいるのに気が付かなかったら?政府からの要請を自分だけが知らないままだったら?

読書をしている間はこういう情報をシャットアウトする状態になる。私の読書においての集中力なんてせいぜい2時間程度なのだが、その間なんのニュースも入ってこないのが怖い。部屋の外で何かが起こっても近所の人が私に知らせてくれる、なんてこともありえないだろう。一人は楽だがいざという時本当に危ないなと思うのだが心配のしすぎか。

 

簡単な解決策があった。ラジオをつけっぱなしにして読書をするだけだ。

耳からニュースや音楽がなんとなく入ってくるラジオ、ながら作業に本当にちょうど良い。テレビと違って視覚は本に集中できる。重大なニュースを聞き逃すこともないだろう。パーソナリティーがリアルタイムで話してくれているのも安心感がある。

いつもPCかスマホradikoを使っている。有料の会員登録をしたらエリア判定が不安定だったのがなくなり便利になった。聞き逃した好きな番組が後から聞けるのも良い。

 

 

家にいると何かとやることがある、というのも本が読めない理由の一つ。

掃除や洗濯、家事に終わりはない、ぼんやりしててもお腹はすく、出来合いのものはなるべく避けたいのでスーパーで食材を買って料理しなければならない、私は食事が遅い、消耗品が少なくなったらまた買い出し、それかネットで注文・・・いろいろやっているとあっという間に時間がたってしまう。今日はもう読書はいいや、となってしまう。本をなんとか読み始めても、やり残した家事を思い出してしまって気になったり、とにかく集中できない。

家での読書より、カフェでの読書の方がしっかり読めて良かった。食べ物や飲み物は店員さんが持ってきてくれ、片付けてくれる。家でやらねばならないことを不思議と考えなくなる。

こういうときの持ち物は、読みたい本、財布、あえて充電が済んでいないスマホスマホの電池切れが嫌なので触らなくなり、必然的にやることが読書だけになって集中できる。

家で本を読んでいるとリラックスしすぎて昼寝に移行してしまうことが多々あるが、カフェでは居眠りはできないところも良い。周りに人がいる、でも話すことはない、というのは緊張感と安心感のいいとこ取りだ。

 

 

仕事などでストレスが溜まっていると本が読めなくなると言う現象がある。そういうときは小説のような文章を追っていくものでなく、雑誌など写真やイラストの多い物ならなんとなく読み進められる。読み始めるまでが億劫でも、読み終わりは不思議とスッキリした気持ちになれる。

料理本や展覧会の図録が良い。興味のないところは読み飛ばし、気になった項目や写真だけじっくりと目を通す。最近良かったのは高山なおみさんの「自炊。何にしようか」カバーが真っ黒でなんだかびっくりしたが、読んでみると気張りすぎなくていいんだよ、と背中をポンポンとされたような気持ちになれた。

児童向けの絵本も良いかもしれない。難しい言葉が出てこないので頭が疲れない。絵が綺麗だったり可愛らしいキャラクターが出てくればそれだけで癒される。ときどきハッとするような一言に出会える。

昔読んだ絵本で何冊か欲しい物があり、買いたいのだがまた積読が増えるかも、というジレンマで迷っている。「よあけ」と、「眠れぬひつじの夜」みたいな題名の絵本を本屋に行くたび探している(内容や表紙がうろ覚え過ぎて、実物を試し読みして買いたいのである)

 

 

お風呂に入るのが面倒、入らなくて後悔することはあるが入って後悔することはない、というような文章をネットで見かけたことがある。

読書で後悔する。よっぽどつまらない本を読んだとか、バッドエンドの作品を読みきって気が滅入った時だろうか。大抵は読書もお風呂と一緒で、読んで後悔することってあんまりないはずだ。

 

 

いろいろ理由をつけてあえて本から遠ざかったのか、精神的に本を受け付けなくなっていたのか。でも読みたいという気持ちはずっとあるのだ。本棚の下の段の未読の本、枕の脇の読みかけの本が視界に入るたび、ああ、と思う。

そういえば今日は込み入った予定もないし天気も悪いし、読書にはうってつけの週末かも。お茶を淹れてラジオをつけて、まずは軽めの薄い文庫本から読もうか。

 

 

今朝は母が送ってくれたさつまいもを食べた。炊飯器で蒸すやつだ。炊飯器いっぱいに芋を詰めたら、いつもより甘く仕上がったような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

ほぼ日手帳からの卒業 11:52

 

ほぼ日手帳、誰もが一度は欲しいと思うのではないか。

私もその一人で、カバーの可愛さ、紙や製本のこだわりに憧れつつ、セットで買うとなかなかお高いのでいつもLOFTで指をくわえて見ていた。

初めてほぼ日手帳を買ったのは確か社会人になる直前。500円玉貯金で貯めたお金を使って買った。下敷きやカバーの色に合わせたペンも一緒に買って、ワクワクしながらお店を後にしたのを覚えている。

毎日の予定やtodoリストはもちろん、行きたいところ、欲しいものや仕事のメモ、何でも書いていた。1日ごとのページに小さい字で日記をつけていた期間もある。

忘れられないのは、新卒で入社した部署にほぼ日を使っている先輩がいて、それをきっかけに話せるようになったことだ。

 

数年オリジナルサイズを使った。気に入っていたカバーもさすがに少し色褪せてきた。

丈夫なのでまだまだ使えそうではあったが、オリジナルは厚みもあって持ち歩くにはかさばるし、仕事中に見たいページを探す手間を煩わしく感じることも増え、weeksタイプに移行した。

日記のように毎日みっちり書き込む使い方をしなくなったし、持ち歩きも楽になって使いやすく、こちらも何年か使った。

 

 

年明け、2021年の手帳を見に行った。

行ったお店はたまたまほぼ日の品揃えが悪くまた出直そうか迷ったが、ふと、ほぼ日じゃなくてもいいか、と思った。

 

長いこと使ううちに憧れていた気持ちが薄れてしまっていた。気持ちが憧れから満足に変わり、気がついたらマンネリになってしまっている。正直weeksに変えたあたりでそれは何となく自覚していた。

そして、何年も見ないふりをしていたがほぼ日にはどうしても気に入らない部分があった。「日々のことば」というやつだ。ページの下にイトイ新聞からの一言が掲載されている。ずっとこれがいらないなと薄々感じていたが、他のユーザーに怒られそうで(交流もないのに)考えないふりを決め込んでいた。

書き込みたいことがあってページを開くと「日々のことば」が目に入る。これ面白いなあ・・・とか一瞬違うことを考えてしまい、何だか気が散るのだ。手帳なのだから自分の書く内容だけに集中したいのに。

特に仕事中に手帳を開いてこれがあると、大変申し訳ないが邪魔に感じてしまう。

自分はインプットが欲しいなら毎日短い言葉が何となく目に入るより、まとまった時間に長文で読みたいタイプなんだとわかった。

 

しばらく手帳の売り場をうろついていたが、結局全く知らない会社から出ている手帳を買い、使い始めて2週間ほどたった。ウィークリーページがついてほどほどに書き込め、巻末にメモ帳が挟める。ほぼ日手帳でなくなったことで困っていることは何一つない。

何より「日々のことば」が目に入らなくなったことで気が散ることもなくなった。

憧れから使い始めたところがあったので、ほぼ日に対して我慢しなきゃと言う気持ちがあったのかもしれない。なんだかスッキリした。

買うことはもうないかもしれないが、昔お世話になった恩師のように感じている。

 

 

 

 

犬派か、猫派か 22:01

犬も猫もそんなに好きではない。どっち派?と聞かても、どっちもそんなに・・・と返事に困る。

もちろん可愛いとは思うけれど、SNSに写真を載せまくったり、わんこ系にゃんこ系Youtuberに一定の人気があったり、猫カフェの存在だったり、よくわからなかった。

 

犬に関して、小さい頃は近所の繋がれていない大きめの犬に追いかけられたり、吠えられたり、友人が飼い犬に噛まれたという経験談を聞かされたせいでどちらかというと苦手だった。凶暴な生き物と思ってしまっていた。

最近のわんこ達は道端ですれ違っても吠えられることがあまりないように思う。室内飼いが当たり前になったし、外飼いでもちゃんと繋がれているので追いかけられることもない。20年くらい前のペットは今より放任されていて、野生の気質が残っていたような気がする。

年をとるにつれ犬への苦手意識はほぼ無くなったが、やっぱり好きではなかった。

 

昨年、完全に犬派になってしまった。突然。

きっかけは、Twitterである犬の写真を見たこと。いわゆるバズったツイートで、確か何万件もお気に入り・リツイートされていた。真っ白でふわふわの毛、小さいクマみたいな耳、黒くて大きい目をした犬を見下ろした写真。もふもふの背中にはうす桃色の桜の花びらがのっている。飼い主がわざとのせたものらしい。

初めて見た瞬間、可愛いと思ったのと同時に何とも説明しがたい感情が流れ込んできた。切ない、守ってあげたい、みたいな。「可愛すぎて辛い」「推しが尊い」ってこの感情のこと?と理解した。

つい保存してしまったその写真は今でも時々眺めてしまう。

 

最近は犬の後ろ姿の可愛さに気付いてしまった。特に柴犬の首から頭の部分。何だかもふっとしているところに耳だけがまっすぐ伸びているのが何とも可愛らしい。

というか、柴犬が可愛い。

以前知り合いが「柴犬のアホっぽいところが可愛い」と言っていたのがやっと腑に落ちた。アホではないのだろうが、あのぽんやりした表情は本当に可愛い。

近所で柴犬を散歩させているおじいさんがいる。おじいさんは体が小さく腰を曲げてゆっくり歩くが、連れている柴犬、今にも走り出しそうなくらい元気いっぱいなのにちゃんとおじいさんに合わせたペースで歩くのだ。可愛い。そしてやはりアホではないはず。そういえば、おじいさんも柴犬も最近見かけないが大丈夫だろうか。

 

 

「可愛い」を一記事で使いすぎた。

この通り犬派になったのは確かだが、一番好きな動物は鳥、または馬だ。これについてはまた書けたら書きたい。

 

 

今日食べたもの

朝食・・・雑穀ご飯、バナナ、味噌汁(白菜、油揚げ)

昼食・・・おにぎり、朝の残りの味噌汁

おやつ・・・玄米ブラン

夕食・・・うどん(ねぎ、きのこ、油揚げ)